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ボンド映画第26作が、英国のプロダクション・ウィークリー誌最新号(♯1368)に「ボンド26」として掲載された。 この週刊誌には英国国内のすべてのプロダクションがリストされており、業界で働く人にとっては、どの映画やテレビ番組がどの会社、プロデューサー、監督によって制作されているかや、関連する連絡先の情報を知るためのガイドとなっている。これに載ったという事は、まもなくロケハンが始まり、世界中のフィルムコミッションが誘致に走るに違いない。
映画版の「007は二度死ぬ」のロケ地となった南さつま市では、秋目や鹿児島市のロケ地を空から巡るツアーを企画して先月から催行し、フランスの出版社アスリーヌでは「ジェームズ・ボンド・デスティネーションズ」を出版。ボンド映画は長期的なシティ・プロモーションに最適なのである。
この世界的人気シリーズの撮影誘致を願う自治体は世界中にある。香川県の直島もかつてはその一つだった。角川書店の『ジェームズ・ボンドは来ない』は、当時、直島町でおきた映画誘致活動の顛末を記録したノンフィクション小説である。
ことの発端は、2002年に出版されたレイモンド・ベンソンの『007/赤い刺青の男』だ。そのプロットは、三重県(鳥羽・伊勢・松阪・伊賀)を舞台としたイアン・フレミングの『007号は二度死ぬ』の続編として、香川県直島のベネッセの施設で開催されるG8サミットのために、ボンドが再び日本を訪れるという運びで、その背景には香川県が岡山県と共に2008年のサミットを『瀬戸内サミット』として誘致活動していた事にある(結局、この年の第34回主要首脳会議は、ロシアも加えたG8北海道in洞爺湖サミットになった)。
話は、2001年にベンソンが取材で直島に三泊した事から始まる。町をあげた映画誘致の夢は、2002年にこの小説が出版されやいなや県のフイルム・コミッションや観光協会から直島町の役場を経て、2003年には直島町議会の決議を得、島中に広がった。
しかも、ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントの役員を名乗る男が直島の観光協会を訪れ話を煽ると、2004年には県議会も重い腰を上げて『署名エージェント』を募って5万もの署名を集め、誘致活動の一環として『香川のボンドガール』コンテストを開催。更に、県庁の総務部知事公室国際課の英国人青年職員を香川のジェームズ・ボンドとして担ぎ出し、観光紹介の為の短編映画『直島より愛をこめて』まで製作した。
極めつけは2005年に木造平屋建ての縫製工場を改装した『007赤い刺青の男記念館』をオープン(2018年2月閉館)し、2006年に副知事と県議会議長が8万3000人もの署名を携え米国に渡り、ソニー・ピクチャーズ・スタジオを訪問、二人の副社長に会うに至ったことである。だが、そこで発覚したのは、直島に現れたソニー・ピクチャーズの役員が実は真っ赤な偽物で、直島なんて先方にとっては初耳だった事である。そればかりか、直島では運営資金217万円も騙し取られていたのだ。結果、責任の擦り付けあいが始まり、ソニーの版権管理会社も『記念館』の更新差し止めに走って事態は奈落の底へと一直線の顛末を迎える。
読了から浮かび上がる問題点は、先ず製作会社と配給会社の力関係に対する理解不足が挙げられる。また、映画の商標を管理するダンジャック・プロを知らず、製作会社のイオン・プロがイアン・フレミング以外の小説の映画は作っていないことも知らなかった。『007/赤い刺青の男』は、あくまでもイアン・フレミング財団の許可を得た公式小説に過ぎない。小説と映画は別物なのである(とはいえ『ノー・タイム・トゥ・ダイ』の悪役のアジトは『赤い刺青の男』と同じく北方領土にあり、ウイルステロを扱った点も同じだ)。
それでも私はこの先人の奮闘に敬意を表したい。何もしないよりは、何かが残るからだ。たとえば、寄贈されたダニエル・クレイグのサイン入りポスターがそうである。これはソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントの元CEОハワード・ストリンガーが在任中に博物館に郵送したものだが、その結果として、商標管理のために訪日していたエージェントが告発を放棄することに貢献した。あくまでも博物館は小説の記念館であるべきなのだが、ここは配給会社のCEОが認めた施設だとしてである。
しかも、今や直島は『アートの聖地』として世界的にも有名になった。移住者が増加した上、インバウンドも増えた。先月9月9日のRSK山陽放送によると、地価も上がって、島の空き家バンクには空き家がない状態になったということだ。結果オーライなのである。 (OHMSS《大宇陀・東紀州・松阪圏・サイト・シーイング・サポート代表》)
2024年8月7日 PM 4:14