街道に遊ぶ

 

透き通るような青空を見ていると、明日が大雪とにわかに信じがたいが、鋭い寒風が頬を撫でる度に、天気予報が確信へと変わっていく。
 伊勢別街道を江戸橋から東へ進むと近鉄大阪線の踏切の手前に「おぼろタオル㈱」の本社並びに工場が見えてくる。ご存知の方も多い同社は津市が誇る老舗の一つで、明治41年(1908)創業で今年115周年を迎えた。創業者の森田庄三郎氏は経営者であると同時に、日本画家だったため、無地で地味な当時のタオルに模様をつけられないかと試行錯誤を重ね「おぼろ染め」を開発。 この技術によって染められたタオルは、乾いた状態では模様がおぼろげに見えるが、水に濡らすとくっきり浮かび上がる。その様子がまるで、おぼろ月夜のようだとこの名がついた。おぼろ染めのタオルはもちろん、今も同社を代表する商品。
 そして、もう一つの看板商品がガーゼタオル。大正時代に花街の芸者たちが化粧する際に、医療用ガーゼ生地を使っていたが、吸水性や吸湿性が不足していた。そこで、片面はガーゼ生地、片面はタオル地となる二重袋織ガーゼタオルを開発した。
 温故知新という言葉を聞くと、創業者の曾孫にあたる同社取締役の森田壮さんのことを思い出す。長い歴史を持つ同社の商品は、優しい肌ざわりや吸水性や速乾性にも優れることから、地元のみならず、多くのファンに長年愛されているが、新商品の開発にも余念がないからだ。長年培った技術の粋を集めて開発した最高級タオル「おぼろ百年の極」を始め、洗顔用や洗髪用など美容に特化したタオル、スタイリッシュなアウトドア用のタオルなど、世間のニーズを取り入れた商品を次々と世に送り出している。また、人気放送作家・小山薫堂さんが自ら初代家元となり、日本が世界に誇る入浴文化を茶道や華道と並ぶ文化へと昇華しようとする取組みの「湯道」にも協力し、「湯道タオル」の製造販売も行っている。
 ある日、森田さんとお会いした時、サウナによく行く私は「タオル地のサウナキャップが欲しい」と軽い気持ちで話を振ったら「試作してみますか?」と即答されて驚いた。〝伝統は革新の積み重ね〟。先人から受け継いだものを守っていくためには、本当に大切なものを見極め、世間に受け入れられる形にする努力が求められる。次のヒット商品を求め続ける果敢な姿勢には、頭が下がる思いだった。
 踏切を越え、分かれ道を三重短期大学方向へ真っすぐ進む。旧街道には当然、国道を示す道路標識「おにぎり」のような公的な目印が設置されているわけでもないため、正しい道順で進むにはやや慎重になる必要がある。私は安全な場所で立ち止まり、スマートフォンにダウンロードしておいた「みえ歴史街道」の地図を確認。同時に地図アプリも起動し、現在地と進むべき方角も再確認する。ナビに導かれるがままに進みがちな昨今だが、自分の頭と身体を駆使する感覚が心地良い。
 この旅の本質も、温故知新。道は時代のニーズを最も敏感に汲み取る存在で、通る人たちの想いに合わせて姿を変えていくからだ。現在は閑静な住宅街となっているこの辺りも、過去に遡れば関西方面からお伊勢参りに訪れる人たちで賑わっていた。古き時代と心を通わせることで、新しき時代をより鮮明に思い描くことができるようになる。人間は年を取るほど、自分の経験や知識に固執しがちだが、本当に大切なものさえ分かっていれば、恐れずに新たな一歩が踏み出せる。常にそんな自分でありたいと強く願うばかりである。(本紙報道部長・麻生純矢)

志登茂川にかかる江戸橋

 1月24日13時。私は津市の志登茂川にかかる江戸橋のたもとに居た。いよいよ伊勢別街道で関宿まで行き、東海道を遡る100㎞の旅が始まる。遅めの出発となったのは天気予報のせい。次の日には最強寒波が日本列島を襲い、津市でも積雪が予想されていたため、歩く予定を繰り上げるハメになってしまったというわけだ。今日の行程は、ここから関宿まで伊勢別街道約18㎞。日没は17時過ぎなので、無事にたどり着けるか不安はあるが覚悟は決まっている。経験に裏打ちされた自信というよりは、横着者っぷりが遺憾なく発揮されているに過ぎない。
 江戸橋は、江戸時代に参勤交代で江戸へと向かう藩主を見送ったことから、その名がつけられた。ここから伊勢街道と四日市の日永で東海道へと接続する伊勢街道と、関宿で東海道と接続する伊勢別街道に分岐するという形になっている。江戸橋は令和元年に生まれ変わり、立派なコンクリート橋が架かっているが、私にとっての江戸橋といえば先代。今や記録と記憶の中にしか残っていないけれど、昭和32年(1957)から57年間、多くの人たちが行き来してきた。特に三重大学の最寄り駅である近鉄江戸橋駅があるので、多くの若者たちの青春の1ページを彩ってきたに違いない。今とは比べ物にならないくらい頼りなかったが、改修後に付けられた木製の欄干が独特の風情を醸し出しており、好きな津のスポットだった。
 鈴鹿市で生まれた私は高校生の頃、初めてこの辺りを訪れた。当時、家庭教師をしてくれていた三重大生の先生の下宿にお邪魔したり、駅前にあったゲームセンターで友達と遊んだ思い出が鮮明に蘇る。どんなゲームを遊んだのかまではっきりと覚えている。私の43年間の人生において、ほんの一瞬に過ぎないが、まばゆい光を放つ大切な思い出。ただし、ノスタルジーを感じるわけでもない。橋を眺める私の胸中にあるのは、あれから30年近い時が流れた今日この瞬間、ここに自分が立っていることの感謝のみ。人間ははかない。年寄りから亡くなる〝順番〟なんてものは、あくまで統計データに基づく希望的観測に過ぎず、〝順番抜かし〟はしばしば起こる。親友を失った時に、それを理解した。
 メメント・モリという言葉をご存じだろうか。ラテン語で「いつか自分が死ぬことを忘れるな」という意味だが、本来は「死は誰にでも等しく訪れるが、いつかは誰にも分らないから、今を楽しもう」という明るい意味だったらしい。それを知って以来、死という概念に対する考え方が180度変わった。少なくとも自分の中では、必要以上に恐れるべき存在ではなくなった。終りがあるからこそ、命は貴く、美しい。いつか訪れるその日まで、与えられた生命を全うしようと思う。
 命がいつかは失われるように、形あるものもいつかは失われる。先代の橋はもうないし、目の前のこの橋だっていつかは役目を終え、新たな橋がつくられる。でも、心の中であれば、先代の橋の姿を思い浮かべることができる。万物が流転する世界において、酷く脆弱に思える人の心(記憶)こそが、堅牢な建造物以上に確かなものになることもある。だから、この旅の始まりの光景を心に焼き付け、精一杯楽しもうと改めて誓う。
 ひとしきり、物思いにふけった後、橋の近くにある常夜灯の前に移動。この立派な常夜灯は、江戸時代後期の安永6年(1777)の建立。伊勢神宮を目指す人々で賑わった時代から、長らく街道を行きかう人々を見守り続けてきた。軽く目を閉じ、今日の旅の無事を祈ると、街道を歩き始めた。(本紙報道部長・麻生純矢)

津市から京都まで(今回の連載でめぐる行程)

 「歩きたい。どこか遠くへ」。胸の奥に湧きあがる根源的な欲求に抗えなくなっている。
 思い返せば10年ほど前、津市全域を自転車で巡る旅をしたことで私の中に眠っていた旅への情熱のようなものが目覚めた。それは海外など遥か遠くを目指すのではなく、自分の足で歩いて行ける日常の先にある非日常を知りたいという感情を原点としている。ここ60年ほどで移動の主役は自動車や電車などに奪われてしまうと同時に、歩くことを煩わしく思う人も増えた。100m先のコンビニへ車で移動する人だってそう珍しくない。津市からは5時間あれば鉄道などで名古屋、大阪はもちろん、東京へ出ることも可能。一方、普通の人が徒歩で休憩しながら歩けばせいぜい一日20㎞移動できれば御の字。効率面ではナンセンスという他ない。
 裏を返せば、歩くことはとても贅沢な時間の使い方といえる。歩くことで古の人たちと同じ時の流れに身を置き、心を通わせることもできる。普段見逃していた様々なものをじっくりと観察することができ、その繰り返しがきめ細やかなフィルターを自分の中に形成していく。何気ない風景からも情報を漉しとれるようになるので、世界の解像度が飛躍的に上がるというわけだ。今では、私が旅をする時は目的地以上に、過程にこだわるようになっている。自動車で移動する時ですら、出来るだけ「下道」を通るようになっている。
 これまでに、津市に終点がある国道163号線と国道165号の計250㎞を踏破する旅をしてきた。前連載に当たる「国道165号を遡る」には昨年末に連載を終えたばかりなので、読者の中には「もう次が始まるの?」と思われる方も少なくないはず。しかし、165号を踏破したのが昨年の3月31日。実に10カ月ほど前。長らく徒歩旅をしていない訳で、うずうずしても仕方がない時期に来ている。
 随分前から「次はどうする?」と考えていた。歩くことは、もはや私のライフワークとなっているので確定事項。そうなると自ずとどの道を歩くかが主題となる。真っ先に候補が浮かんだのは、津市に起点がある国道306号。この国道は、津市、鈴鹿市、四日市市、菰野町、いなべ市を経て終点の滋賀県彦根市に至る道。この道は私の出勤ルートで、滋賀県方面に出かける時はいつも通るため、勝手知ったる国道だが不採用になった。前の連載からの読者はお判りだと思うが、私の場合は天下御免の一人旅。一日で20~30㎞歩いてその行程で起った出来事を記事にしたら、次回は中断地点から再び歩き始める。一人で歩き、取材し、撮影するの繰り返しで一本の道を味わい尽くすというスタイル。中断地点から返ったり、再開する際には、公共の交通機関を利用するのだが、306号はアクセスが非常に悪く、効率の良い旅ができない。これが不採用の理由である。
 次の候補は国道23号。三重県の北中部に暮らす人たちが国道と聞かれたら真っ先に思い浮かべるであろう路線。伊勢湾に沿って愛知県豊橋市と三重県伊勢市を結ぶ東海地方の大動脈で、ルーツは伊勢参宮街道。お伊勢参りが国民的な慣習となった江戸時代以前から続く信仰の道。ただこの道も公共の交通機関とのアクセスが芳しくない区間が多く、自動車道として整備されていることからも、歩くことが困難な国道であるため不採用となった。しかし、伊勢神宮に至る道というヒントを得たことによって、歩くべき道が決まった。
 それは伊勢別街道である。江戸橋付近から関東方面へと伸びる伊勢街道と枝分かれし、東海道の関宿まで関西方面へと延びる18㎞ほどの道。これだけだと距離的に物足りないので、そこから東海道の関宿から、終点の京都の三条大橋をめざす計100㎞ほどのルートを巡ることとする。
 これまでの旅は国道を歩いてきたが、今回はそのルーツである旧街道を辿る。昔は主要道であったが、家屋が通りに面しているため、道幅の拡幅が難しく、車社会とは噛み合わなくなり、今では地域住民の生活道路になっている場所も多い。つまり、普段通ることがない区間が多く、私にとっての〝非日常〟がゴロゴロしているということ。当然、峠越えにもチャレンジするので、これまで以上に過酷になる。ただ3回目ともなれば、経験に裏打ちされた自信が自ずとわいてくる。満を持してのチャレンジといえるかもしれない。
 2023年1月24日13時過ぎに私の新たな旅が幕を開けた。(本紙報道

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