随想倶楽部

4年前に、日本作詩家協会に入会したのは80歳の年齢になってからで、理由は次の通りでした。
自分が書いた詩が公の組織に保存される事。その組織に自分が在籍している事。そして、まがりなりにも、その組織の事業に参加している等の条件が満たされている事でした。
今、考えて見れば無茶な話しで、趣味から始めた、ずぶの素人が、いきなり協会の本部に電話を入れて、会員になりたいと、お願いをするなどあり得ない話しである。
事務所の方も、私の電話を聞いて矢継ぎ早に、お歳はおいくつですか?作詩をされておられますか?入会を希望される理由は?紹介者が2名おられますか?などと聞かれたのでした。
最後の紹介者の問いについて、心当たりがないと申し上げたところ、役員の方と相談をしておきますと電話が切れた。
翌日、協会の事務所から電話があって、過去に作詩した曲のCDがあれば2曲送って下さいとの事でした。その後、2曲のCDを協会に送ると、理事会で協議の結果、入会を認める内容の連絡を頂き、紹介者は理事の中から2名をお願いする事になったと承認を得たのでした。
その後、会員証が送られて来て正式に一般社団法人日本作詩家協会の会員の皆さんの末席に籍を置くことになりました。本来80歳にもなれば、退会して身を引く年齢である。そんな年齢から入会するなんて、この爺さん、どうかしているとしか思えない、と協会も考えたのではないかと思う節がありました。
毎年、発行している「きょうの詩・あしたの詩」にも今回で4回目を寄稿し、少なくともあと6回は掲載を頂きたいと考えています。
「きょうの詩・あしたの詩」の詩謡集の歴史は古く,今年で日本作詩家協会は創立55周年を迎え、詩謡集は創刊51年目を迎えています。そんな歴史のある冊子に詩が掲載されるなど私にとってはあり得ない出来事です。
第1回目は「木曽川恋歌」、第2回目は「夜の錦三丁目」、第3回目は「夜のエアーターミナル」、第4回目は梅田界隈を舞台にした「角打ち酒場」でした。先に申し述べた4回の掲載に引き続きあと6編は詩が完成しており、寄稿を待つのみとなっています。
私は本年4月30日をもって84歳になりましたが、未発表もふくめて80数編の誌が完成しております。
「きょうの詩・あしたの詩」は、メジャーの先生方も参加されておられ、どんなチャンスが訪れるやわかりません。そんな期待をちょっぴり抱いて詩を書き続けたいと思っています。
毎年発行される冊子には300前後の詩が寄稿されます。厳選された詩ばかりで読むだけでも勉強になります。私も元気な限り、書き続けたいと思っています。
詩を書く事によって、避けては通れない世界があります。それは著作権協会です。正式名は一般社団法人・日本音楽著作権協会ですが、この協会に自分の書いた作品を登録される事によって、第三者が使用した事による著作料が作者に支払われる仕組みになっております。
何にしても、作詩した作品に曲が付いて著作権登録した事によって知った世界は私から見れば、まるで別世界で、詩には必ず曲がついて、それを歌手が歌って一つの作品として皆さんが楽しむ。また、それが著作権料に跳ね返ってくる。そんな仕組みであります。
こんな現実は、歌の世界だけの話ではなく、人間が生活しうる経済活動やIT(情報)に至る全てに特許権が絡んでいます。一般的には余り関心がない世界ですが、常に特許申請をもくろむ現実があるということです。
さて、最後になりましたが、曲について触れておきたいと思います。
作曲の先生方のお話を聞いていると演歌の世界では、昔は作詩に対して曲をつけたそうですが、今では先メロと言って出来た曲に後から作詩をする方法が多くなっていると話されています。
時代が大きく変わり、作曲する側も詩ができるのを待っていられない、先に作曲をして、作詩を待つ真逆の現象が起きています。しかし、作詩者としては、詩を先に書けた方が、曲のことを気にしないで作詩が出来るので作業がしやすいかもしれません。
また、私が書いているような下手な詩でも、メロディがつきアレンジされると耳を疑いたくなるような素敵な歌に変貌します。歌は4分間のドラマと言われていますが、正にその通りです。
歌いながら涙する姿は周囲をも感動の渦に巻き込み、作詩者さえも感動させます。歌って本当に凄い、と感じることが多いです。私が書いた詩の中でも特に「あぁ忠犬ハチ公よ」などは、曲がついていない時から詩を読んで涙された人達が大勢おられます。その様な詩を沢山書きたいと思っています。
尚、表現に誤りや間違いがあれば、ご容赦ください。(津市在住作詩家)

拡大した新型コロナウィルスの感染者数が減少してきたが、まだまだ気を緩めてはいけない。普段から個人や職場、家族一人ひとりの予防への意識が大切。不安が続く毎日だからこそ、日常の生活行動が重要だ。それが高齢者や、既往症がある人達を感染から守ることに繋がる。入院患者が特定の病院や地域に集中しないよう努めているが、全国的に医療機関の逼迫は深刻である。
病院や高齢者施設、その他の施設も検温、消毒、面会の制限などが徹底されている。これと同様に当社の患者搬送も、事前の情報や防護策を徹底して進めている。自らの体調に留意し、車内の飛沫防止対策やマスク、手袋、座席等のアルコール消毒など、やれることは全て実施している。万が一、体調が優れない患者の搬送時は、防護服やゴーグル、フェイスシールドなども装着する。運転にも更なる気配りが必要だ。
昨年末から新年にかけて、看護師が添乗して車内での吸痰処置や人工呼吸器の装着、自宅からの担架移送、深夜における市外への救急帰りなど、通常の転退院搬送が繰り返しあった。
普段どおりとは言え、気を抜くはできない。県内各地から依頼が入るため、搬送前にどのように準備すればよいのか入念に情報をチェックする。施設からではなく個人的に依頼がある患者の場合は、発熱の可否や現在の体調などを聞き取っている。搬送の段階でも、医療崩壊がないよう事前に状況を把握しなければならない。そうすることが、今の状況下では一番よい方法だ。
安心、安全、清潔に搬送するのが基本。コロナ禍で人との距離を取りがちな昨今だが、交通弱者を守り生活を支える重要な交通機関として、外出がどうしても必要な時、小さなことでも困っていたら、どんどん声をかけて欲しい。
やるべきことは明確だ。救急車をタクシー代わりにする利用者を減らし、本来必要な救急搬送を優先させて、軽症患者の輸送は我々が行う。心をつなぐ患者搬送として、一刻も早いコロナウイルスの終息を願いつつ、この窮地を乗り越えるため、日々の業務に励んでいきたい。
(民間救急 はあと福祉タクシー代表)

大正、昭和の鳥瞰図絵師吉田初次郎のパノラマ地図の本を読みました。彼は「大正の広重」と呼ばれた人です。江戸時代の葛飾北斎や安藤広重の風景画の影響が感じさせられます。絵は目で見る文章です。正確な地形図を元にして、メインの場所を切り口に解りやすく言いたい所をひときわ目立ちさせて、見えない所まで見えるという不思議な図法で人々の夢を膨らませて旅へと誘ってくれています。

鳥瞰図とは、ゆったりと空を飛びながら下界を眺める、そんな気持ちにさせてくれる地図の事です。
今はドローンで空からいつでもどこでも見渡せる時代です。災害や緊急時に大いに活躍しています。テレビ番組「ポツンと一軒家」はその一例かな。吉田初次郎の鳥瞰図を見ていたら私も鳥のように、ドローンのように我が三重県を眺めたくなりました。三重県は歴史的にみると「伊勢国」「志摩国」「伊賀国」「東紀州」の四つから出来ていて多種多様の県です。

伊勢参りは伊勢神宮にアマテラスがおられて常に人々の幸せと平安を守って下さることに感謝する所で、「常若の国」といわれて永遠の命を約束してくれます。熊野詣はスサノオのいる熊野で「祈りと再生の国」の復活を約束する処です。6世紀に仏教が伝来すると熊野は浄土信仰も重なり、人々は浄土に生まれ変わる事を願って天皇、貴族、庶民がまるで蟻のように古道を一列になって詣でる 〝蟻の熊野詣〟をしています。日本最古の歴史書『古事記』『日本書紀』( 記紀)の神話は、ある面において私たちの生活や信仰心の基になっていると思います。

古代人は熊野の自然の力に畏敬し、神が宿ると考えて巨木、巨岩、川や大滝を拝みました。そして生きながら行ける浄土「あの世」への入口であり、スサノオが神として甦った場所。そこが熊野です。

今回は「東紀州」、尾鷲とイザナミの墓を訪ねて見よう。親子、姉弟愛を知る旅に出ようと。ワクワクするわね。さあ、伊勢国を出発して、熊野街道の上を飛んでいこうよ。まずは伊勢と熊野の分岐点の尾鷲です。尾鷲神社があり主神はスサノオです。ヤーヤー祭りが有名で豊漁、豊作を祈ります。尾鷲を過ぎて木の国(紀伊国=紀伊半島一帯)に入りました。 〝花の窟〟が見えてきました。イザナミの墓です。日本最古の神社といわれ、高さ45メートルの巨大な岩そのものが御神体。記紀にはイザナミが最後に火の神カグツチを産むが大やけどで死んだとされると場所です。花の窟の下部にある窪みは「ほと穴」といわれる黄泉の国(死者の国)への入口とされています。イザナミの魂を慰める為に毎年二月二日と十月二日に例大祭(お綱掛神事)が行われ、日本一の注連縄に三本の幡旗(アマテラス、ツキヨミ、スサノオ)が豊作と感謝の祈りを表して揺れています。その神事の綱は海岸へと伸びていて多くの人々が海の底に届くまで引っ張ります。それは豊かな漁場へとのびて繋がっています。これで熊野は大漁だあ! 私も参加して綱を握った時の気持ちは有難く嬉しかったです。近くには母イザナミの御魂を祀る産田社がありスサノオを見守りつづけています。
父イザナギの左目からアマテラスが生まれ、右目からツキヨミ、鼻からスサノオが誕生しました。父はアマテラスには「天上界」を、ツキヨミは「夜の世界」を、スサノオには「海原(自然界)」を治めるように命じました。
しかし、スサノオは母イザナミの所(根の堅洲国、死者の国)に行きたいと泣きじゃくり、ダダをこねます。とうとう父に天上界から追放されて、国津神として地上に降りてきました。スサノオはヤマタノオロチ退治伝説や日本最初の和歌を作ったり、家族思いの心を持つ神へと大きく立派に成長して文化創造の英雄神になりました。やがて「母のいる死の世界」を統治しています。このわんぱくな弟スサノオを優しく、そして厳しくしながらも成長を見守ったのは姉のアマテラスが大きな大きな愛で全てを包み込んだのでしょう。私はそう感じました。

夕方になり、もう周りが暗くなったのでお家に帰ろうーと。

記紀の神代の巻を久しぶりに読み返し、生、死、再生、愛に触れました。なんとなくホワッとした温かい気持ちになり、日本の神の本質に触れて嬉しい気持で本を閉じました。

日本誕生物語の舞台の伊勢「この世」と熊野「あの世」の二つ世界を持った三重県はいいですね。

(全国歴史研究会、三重歴史研究会、ときめき高虎会及び久居城下町案内人の会会員)

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