随想倶楽部

 立冬も過ぎて、北の方からは初雪の便りが聞かれる頃になりました。最近はめっきり日も短くなって、季節は、秋から冬へと一歩づつ近づいております。
今回は、秋から冬の季節の移ろいを感じる、「初雪」と、年末になると「赤穂浪士」の話が必ず出てまいります。その物語の中から多くの人に愛された「野暮な屋敷」の二曲をご紹介したいと思います。
初雪
 初雪に降りこめられて向島
二人が仲に置炬燵
酒の機嫌の爪弾きは
好いた同志の差し向い 嘘が浮世か浮世が実か まことくらべの胸と胸

この唄は明治20年頃、菊寿太夫の60歳後半の作品と思われます。小唄の舞台である向島は、梅若塚で有名な木母寺、その左の水神社、この辺が向島の中心になります。
水神の森には江戸時代から料亭が並び、その中でも「八百松」と、「植半」が有名でした。三代将軍家光の時代に植木師と御狩場の番人を本業としていた植木屋半右衛門は副業として腰掛茶屋を営んでいました。
植半の娘が四代目女将になった時、七代目団十郎や杜若と深く結んで植半の名を江戸中に普及させました。
吉原、山谷、柳橋から粋な芸妓が猪牙舟に送られて、向島に遠出するのはこの頃からで、右は木母寺、左は水神の森につらなる木立の奥の小座敷も灯の下に隅田の水音を聞きつつ、水郷情緒を味わうようになりました。この情緒は明治になっても続き、向島は遠出の場所として知る人ぞ知る所になっています。
小唄「初雪」は明治20年頃に作られ、向島情緒を遠虚なく描写しております。
人力車がまだ調法されていた時代、向島の水神で男女が、しめし合わせて落ち合った所、折から外は季節外れの初雪、大雪になって人力車も通えなくなり、もっけの幸いと置炬燵に入り互いに酒のやりとりをしながら、酒の機嫌でその頃流行の小唄を爪弾きで唄います。
「誠くらべの胸と胸」は二人の心意気を感じます。

  野暮な屋敷
 野暮な屋敷の 大小 すてて
腰も身軽な町住居
よいよい よいよい  よいやさ
 阿竹黙阿弥作で明治時代に作られました。
赤穂浪士の討入の日の明六つから明七つまでを十二時に書き分けた趣向で、「十二時の忠臣蔵」と呼ばれ好評を博しました。その中の小山田庄左衛門の変心の件が好評で、「野暮な屋敷」はこの芝居の辻番人が歌う都度逸を小唄にしたものでこの小唄が市中に流行したといわれています。
芝居の筋書は、小山田庄左衛門が、討入の当日、家臣の娘お雪が貧苦で身投げするのを助けたのが縁で、お雪の家に伴われ余りの寒さに、薬にと一杯酒を飲んだのが因果、二杯三杯と杯を重ねる間に前後を忘れ、お雪と枕を交わし、打入りの時刻に遅れてしまいます。
申し訳なさに切腹しようとするのを、後を追ってきたお雪が一緒に殺してとせまります。丁度その折、酒を飲んだ辻番人が手を叩きながら「野暮な屋敷の大小すてて」の都度逸を唄いながら通り過ぎるのをきき、ここで命を捨てた所が徒党にもれれば、ほんの犬死と、差した大小を下緒で結んで堀へ打込み、腰も身軽に今日からは町家の住い、楽に浮世が暮らされようと茶碗酒をあおるという有名な場面です。江戸時代、屋敷者は常に大小両刀を差し、これを捨てるのは町人になることで、武士にいためつけられていた町人が、武士の格好を「野暮」ったいと言い、「腰も身軽な町家住い」を「よいよい」と唄ったのは、町人の武士階級へのいささかな抵抗であると見られています。武士の生活を「野暮な屋敷」と唄ったのは、明治初年の江戸市民の考え方の一端を伝える小唄で、黙阿弥ならではの曲といえます。
 朝晩の冷え込みが厳しくなってまいりました。年末に向けてご多忙な次期、お体充分気をつけてお過ごし下さい。
小唄 土筆派家元
木村菊太郎著「江戸小唄」参考

三味線や小唄に興味のある方、お聴きになりたい方はお気軽にご連絡下さい。又中日文化センターで講師も務めております。稽古場は「料亭ヤマニ」になっております。☎059・228・3590。

今、世界中で大人気のデイズニーの長編アニメーション映画の「シンデレラ」を見ているとドキドキわくわく、そしてホッとします。わたしは小さい時に絵本の「鉢かづき」「竹取物語」等が好きで何度も読み返して楽しい空想の時間を過ごしました。
「シンデレラ」の話はどのようにして誕生したのかが気になりました。この物語は 世界中によく似た話が多くあり、時代や地域によって姿を変えて伝承され、各国の歴史と文化を垣間見る事ができます。童話作家としてフランスのシャルル・ぺロー、ドイツのグリム兄弟やハルフ、そしてデンマークのアンデルセンをあげる事ができます。まずペローの作品に「シンデレラ」「長靴をはいた猫」などがあり、人の優しさや生き方を示していて、読んでいると気持がなごみます。
物語は全てハッピーエンドで終わります。グリム兄弟の作品は「狼と七匹の子やぎ」「赤ずきん」「白雪姫」「灰かづき」等があり〝人の強欲な心はダメよ!〟と教えています。
アンデルセンの作品には「みにくいアヒルの子」「人形姫」「マッチ売りの少女」などがあり、深い人生の真実にかかわる話です。ハウルの作品には「出世」「変なおばさん」があり、〝人は正直に生きるんだよ〟と伝えています。
シンデレラ物語の原点は紀元前五~六世紀から存在しており、これを元にして古代エジプト時代に「ロドピスの靴」の話が作られ、それを十七世紀後半に活躍したペローがヨーロッパの伝説を集めた童話の中の一つとして「サンドリオン、ちいさなガラスの靴(シンデレラ)」として発表しています。これがディズニー映画の原作になっています。
このペローのシンデレラに登場する邪悪な人は改心して物語はハッピーエンドをむかえます。十八世紀初頭にグリム兄弟はペローの童話をベースにして「灰かぶり」(灰かぶりとはシンデレラの意味)を世に出しています。亡くなった母親の墓に植えられている木がドレスや靴を与えてくれます。義理母が欲深い義理姉の足を削ったり、意地悪した罰として鳥が目をつっついたりの残酷な場面が書かれています。それは心のあり方を述べています。
これらの物語の共通点は①継母のいじめ②助ける人の出現③パーティー(宴会)④主人公の心のあり方⑤結婚(めでたし)の形です。
さて日本に伝わる話としては平安時代の「落窪物語」が貴族や武家の間で読まれています。清少納言が枕草子の中でこれを絶賛しており、まさに日本の最初のシンデレラ物語だと思います。
江戸時代には御伽草子(昔話と絵本を結びつけたもの)と呼ばれて「姥皮」「鉢かづき」「糠福と米福」「お銀小銀」等の継子いじめ話が残っています。灰には再生や呪力があるといわれ、山姥は福の神で幸せを運び込む神です。
江戸時代後期には「桃太郎」「浦島太郎」「かちかち山」などの子供用の絵本(赤本)が絵入りの大衆向けの読み物となり流行しました。明治時代になると文明開化と共に海外からの民話が輸入されて小説にもなっています。
坪内逍遥の「おしん物語」はシンデレラ=おしん、王子様=華族の若様、魔法使い=弁天様、舞踏会=園遊会、ガラスの靴=扇などに置き換えて出版されています。当時の日本にはまだ靴という文化がなかったので扇にしたのでしょう。楽しい夢を与えてくれています。
明治期の学校では教科書に昔話が導入され唱歌となり、今も人々に歌い継がれて歌は生きています。紙芝居は幕末、明治初期の写し絵から作られています。そして今は「金太郎」「桃太郎」等はスマホのコマーシャルに、シンデレラの話は「イエス〇〇クリニック」のコマーシャルの一つとしてアレンジされ、もてはやされています。
ディズニーのシンデレラの映像や美しい音楽を聴くとすべての事に美しくやさしくありたいものだと思いました。語り伝えられていく日本の歴史観や道徳や文化をふまえて、次の世代に繋がれば嬉しいなあと思いました。
(全国歴史研究会、三重歴史研究会、ときめき高虎会及び久居城下案内人の会会員)

 新緑の色も深みを増し、いつの間にか立夏も過ぎ、木々を渡る風にも、初夏の香りが漂う季節になりました。夏に訪れを告げる夏祭りも、各地で始まっております。
今回は、夏祭りの小唄を二曲ご紹介したいと思います。お囃子の違いも面白く唄われており、お楽しみいただければと思います。

神楽ばやし
神楽囃子の打込みは 先づ屋台囃子、聖天鎌倉大間囃子、あとは四丁目で、テンステテンストトントン、オヒャリ、ヒャリトロ、ヒヤリトロ笛の声、先玉じゃあと玉じゃ、共に打込む、チエッチェチェチキ 当り鉦

 この唄は明治43年に青木空声による作詞で、作曲は不詳です。
江戸時代の上方小唄「桜見よとて」から明治に入って江戸小唄にとり入れられたのが替唄「神楽ばやし」です。「草紙庵夜話」によると明治43年頃、青木空声が唄や踊りの遊びにもあきて、何かないかと思案の末、思いついたのが「わかばやし」神楽ばやしの稽古でした。お神楽はずぶの素人だから順序を忘れてはいけないと、空声がこれを唄にして覚えるのが早道と、神楽太鼓の順序を唄いこんだものが小唄になりました。この唄は横笛が主となって、他の楽器を指導するもので、主曲は12曲あり、このお囃子は最も江戸っ子の気性に合い、お祭りばやしとなって旧幕時代は盛んに行われました。道具の種類に大胴と呼ぶ大太鼓、しめ太鼓、笛(トンビとも呼ぶ)鉦(与助と言う)となっており、小唄の「屋台~四丁目」までは神楽ばやしの曲の名を並べたもの、「先玉じゃあと玉じゃ」は、しめ太鼓の本手、替手の打ち方です。当り鉦は摺り鉦というのが正しく、手に持って打つ深皿のような形の鉦で、与助の名称は、他の四人を助けるからという説もあり、又、当り証を打つ名人であったからとも言われています。この小唄は曲が派手で、よく出来ており、オヒャリヒャリトロは笛の音ですが、笛の音まで口真似で唄う所が面白く、この小唄の味噌になっています。
 天神祭
ちょうさやようさで、お神輿かきこみ、よいよいいっさんに担きこませ
なかに太鼓の、ドデドン、ドデドン、よういよいやさ、ドデドンドデドンようい、ドンデン世の中よういやさ、させさせ、させさせ、さいてくだんせ盃を、三遍まわしてヨーイヨーイ これなん拳の酒 ソレちょうちょう
ちょう
 7月25日に行われる大坂天満宮の「天神祭」を唄った上方小唄で三世中村歌右衛門の作詞といわれており、文政4~5年の作です。
天神祭は、昔から京の祇園祭、江戸の山王祭と共に日本三大祭の一つに数えられ、京の祇園祭から一週過ぎた暑さも絶頂の祭で、その起源は天暦7年、村上天皇の勅願によると伝えられ、怨霊神としての菅原道真の御霊の信仰と夏の災厄よけ祈願という民俗から出た祭です。6月1日に鉾流しの神事、24日の宵宮祭には、山車の宮入り、大太鼓と鉦によるだんじり囃子は、男性的な力強さがあり、山車の上で鉢巻、赤ふんどしの若者が、乱舞し、野性味があり、安永9年は最も盛んで、84輌も宮入りしたといわれています。25日は川渡御といって、御鳳輦、鉾、神馬、稚児、武者など10数町の行列が社殿を出て、鉾流橋の畔から乗船し、堂島川を下って御旅所に入り、賑やかに、はやす「どんどこ船」に曳かれて行きます。船には一体づつ「御迎人形」が乗せられ、体長4メートルに及ぶ豪華な衣裳の人形は精巧に出来ていて、元禄の頃から行われているといわれております。
もっとも有名な柳文三作「安倍保名」には町娘が変死した話が伝えられるほどの名作でした。他に木津勘助、加藤清正、雀踊、戎島の恵比寿、雑喉場の大鯛、与勘平朝日奈など、名高いものがあります。小唄の中で唄われている「ちょうさや、ようさ」は上方で御輿をかつぐ掛声で江戸で言う「わっしょい、わっしょい」と同じ意味です。この小唄は江戸端唄から採ったもので、上方調には珍しい早間調子のよい小唄になっております。
江戸と上方での祭り囃子が作られた経緯の違いや、御輿をかつぐ掛声、おはやし、太鼓、笛、鉦などを比べてみるのも面白いですね。

梅雨寒の日もあれば、真夏のような日差しのつよい日もあって体が不調になりがちです。どうかお体を大切に。
小唄 土筆派 家元
木村菊太郎著「江戸小唄」参考

 三味線や小唄に興味のある方、お聴きになりたい方はお気軽にご連絡下さい。又、中日文化センターで講師も務めております。稽古場は「料亭ヤマニ」になっております。☎059・228・3590。
[ 10 / 37 ページ ]« First...89101112...2030...Last »