随想倶楽部

コロナ禍の昨年は、これまで民間救急として搬送していた形態が大きく変わっていく日常だった。遠距離などは出発前にPCR検査や、感染を防ぐ防護服、医療消毒器材などを積載し、換気のうえ安全に患者を搬送。県北勢部の病院移転に伴う入院患者の搬送案件も、感染防止対策の上、各方面との連携の強化など大きな経験となった。今年再び感染力が増してきた新型コロナウイルスも、突発の依頼にどう対応するか。車を出すタイミングは、もはや救急車と同じ要領で考えなければならない。
それでも、日常的に心に響く搬送がある。転院先や自宅へ送ったあと、患者の体調が回復して、今後もぜひ利用していただく機会があればよいといつも思うが、その通り再び縁をいただいた。  寝たきりの患者を7時間を要して、医療処置の継続をしながら、ストレッチャーで関東から三重県内の病院へ転院搬送したことがあった。その女性が車イスに座れるほど病状が回復して退院となり、実家へ一時帰宅するというので、この人と再会することになった。
看護師が添乗して緊張した搬送が続いた当時を思い出した。年齢が比較的若いこともあり、医療と看護も功を奏して、車イスに座れるほど体調がよくなったようだ。搬送した当時の症状からみて、座位がとれるまでになろうとは思わなかった。
今回、自宅まで1時間半かかる距離にもかかわらず、在宅での看護と療養を決断したという。身体の回復力は無限に大きいと改めて実感する。まだ体に後遺症が残るものの、リハビリも頑張っていくようだ。「縁を結んでいただくとは、ここにもあるのか」と改めて思った。
入院中は心身の負担も並大抵でなかったと思う。長期間世話になった病院を後にして家族の介抱を受けつつ、道中で見る久しぶりの景色は嬉しかったに違いない。車中では、家族と久しぶりに会話もしている。
目的地に着いたところ、自らタオルで顔を拭うまでの体力になっていた。嬉し涙なのか、闘病疲れからなのかわからないが、手足も自分で動かそうと努力する姿に驚いた。前回の搬送時には考えられない光景で、私も嬉しさがこみ上げる。
無事に搬送し終え、家のベッドに乗り換えたとき、家族皆で帰宅を喜んだ。この仕事は人生の助っ人。「縁」をつくっていただいたことに感謝し、患者の一層の回復を祈った。
医療現場と患者、民間救急がひとつになれば、困難と思える自宅への搬送なども可能になる。世の中の変化で、今後はどのように搬送に影響が出るのか一抹の不安も抱えるが、困った人を支えていくのは民間救急の役目である。今年も目標を掲げて、感染なきように注意を払いながら、搬送に努力していきたい。
(民間救急はあと福祉タクシー代表)

新春を寿ぎ謹んでお喜び申し上げます。
昨年は新型コロナ禍の中、自粛生活を強いられました。その中で行われた東京オリンピック・パラリンピックも無事に終わることが出来ました。又、昨年の暮には新型コロナウイルスの新たな変異株も出て、どうやら今年も慌しい年になりそうです。お互いに実り多い年になりますように努力してまいりましょう。
新しい年を迎え、今回はおめでたいお正月の小唄「初卯詣り」と梅と鶯を題材に初春らしい「君が仰せ」の小唄二題をご紹介いたします。

初卯詣り
詩・曲 初代平岡吟舟
初卯詣りの 戻り道 足も千鳥の酒機嫌 竹にぶらぶら ありゃ何じゃ虎 虎虎虎
初卯詣りとは正月の初卯の日に(現在では一月二十五日)、大阪では住吉神社、京都は石清水八幡、東京では亀戸天満宮境内の妙義神社に参詣する習わしがありました。境内には有名な藤やつつじの他に茶店もあり、初卯詣りがすんで、境内の茶店で一杯やって、すっかり虎になった参詣人の一人が繭玉の先に張子の虎をぶらぶら下げて歩く人を見つけ、ありゃ何じゃという言うもので、虎の玩具と酒を飲み虎になった人とを掛けています。初春の呑気な姿をこの小唄は気軽に思うがまま、面白く唄っております。
君が仰せ
作者不詳 明治中期
君が仰せを初音に聞いて いとも畏き鶯の 小枝にちょっと移り気な 此方の心をそよそよと 空吹く風が憎らしい

この江戸小唄は、自分を梅、男を鶯にたとえて、浮気な鶯を恨む女心を唄ったものです。
この小唄は、平安時代の物語からきていて、先ず冒頭の「君が仰せを初音に聞いていとも畏き鶯の」までは「鶯宿梅」の古歌、「勅なればいともかしこし鶯の宿はと問はば如何答えむ」の上の句の調子をとったものです。紀貫之の娘の唄だと言われています。この和歌の意味は平安時代、村上天皇の清涼殿御前の梅が枯れてしまい、代わりの梅を探し歩いた所、西の京に紅梅の香り高き梅を発見し、梅を献上してほしいと申し入れた所、「君の仰せとあらば、何で否やと申しましょう。しかしこの梅を献上したのち、この梅を毎年のように宿として訪れる鶯が今年も来て、私の宿はと聞かれたら、何と答えたらよろしいでしょうか」と言う和歌を梅の枝に結びつけて奉じました。これを読んだ天皇は深く感じて、梅を返され、それ以来、この梅を「鶯の宿の梅」鶯宿梅と名付けられました。
小唄の解釈は、私は貴方の言ったあの一言を鶯の初音のように嬉しく聞いて、添える日の一日も早いことを願っておりますのに、貴方は浮気鶯のように、他所の梅の木にちょいちょいと移って、私の心を知りながら、私の言葉を「空吹く風」のように聞き流しているのが、本当に憎らしい、といった所です。

春まだ遠い季節です。寒さ厳しい中、くれぐれも体調を崩されないよう気をつけられ、お健やかに過ごされますように。マスクのいらない日常の生活が一日でも早く来ることを、願っております。
小唄 土筆派家元
参考・木村菊太郎 著「江戸小唄」

三味線や小唄に興味のある方、お聴きになりたい方は、お気軽にご連絡下さい。又、中日文化センターで講師も務めております。稽古場は「料亭ヤマニ」になっております。電話059・228・3590。

私どもサン新聞は、さっそく下記のようにお答えすること、それと同時にご質問者の方が「ザ・サン」の愛読者であることに大変大きな喜びを感じています。
「編集者さま、私は8さいです。私の小さな友だちの中には、サンタクロースはいないという子どもたちがいます。おとうさんは『サン新聞にそう書いてあれば、それはそうだよ、いるんだよ』と言っています。本当のことを教えてください。サンタクロースはいますか?
ヴァージニア・オハンロン、住所〔ニューヨーク市〕西95番街115番地」

ヴァージニアさん、あなたの小さな友達は間違っています。物事を疑わしく思う年頃特有の物事に疑いをもってかかるという考え方に影響を受けているのです。そういう子供たちは、目に見えるもの以外は何も信じようとしないのです。自分たちのちっぽけな心や頭で理解できないものは、何も存在しないと思っているのです。
すべての人間の心は、ヴァージニアさん、大人だろうが子供だろうが、小さなものですよ。
私たちのまわりの広大無限の世界と比較し、それとともに真実や知識の全てを把握することが可能な知性で測ってみれば、私達のこの広い宇宙のなかでは、人間の知性はただ単なる昆虫、そう人間は単なるアリのようなものにしかすぎません、
はい、ヴァージニアさん、サンタクロースはいます。サンタクロースは、愛と寛大さと献身が存在するのと同じくらい確かにに存在します。そして、あなたは知っていますよね、愛と寛大さと献身というものはたくさんあるし、それらはあなたの人生に最高の美しさと喜びを与えてくれています。
ああなんて悲しいことでしょうか! もしもサンタクロースがいなかったとしたら、世界はなんて暗くてわびしいことでしょうか。まるでヴァージニアさんみたいな子供たちが一人もいないのと同じくらい暗くてわびしいものでしょう。
そこには、子供らしい信じる心なんて無いでしょう、私達が住んでいるこの世界を耐えられるものにしてくれる詩や人を愛する心も無いでしょう。自分の手で触ることができるもの、自分の目で見ることができるもの以外、私達の楽しみはきっとなくなってしまうはずです。子供の時代とともにあり、世界を明るくしてくれているあの永遠の光は消されてしまうでしょう。
サンタクロースがいるなんて信じないだって!それなら妖精がいることも信じるのもやめたらどうですか!
おとうさんに男達を雇ってもらい、クリスマスイヴに全ての煙突の中を見張ってもらってサンタクロースを捕まえてもらうのもいいでしょう。しかし雇った男達がサンタクロースが煙突から降りてくるのを見つけられなかったとしても、一体それが何を証明することになるのでしょうか。
誰にもサンタクロースは見えません。でもしかしそのことでサンタクロースはいないということにはなりません。世界で最も本当の事柄は、子供も大人も見ることができないのです。
これまでにあなたは、妖精が芝生の上で踊っているのを見たことがありますか。もちろんありませんよね。しかしそのことが妖精はそこにいないという証拠にはなりません。世界にある目に見えなくそして見ることができない全ての不思議な事柄を誰も思いついたり、想像することができないのです。
あなたが赤ちゃんのガラガラ玩具をばらばらに分解してみれば、ガラガラ玩具の中で何が音を出しているのか、あなたの目でみることができます。しかし世の中には目に見えない世界というものがあります、その世界はベールに覆われています。そしてそのベールは一番強い男でも、たとえ今までにこの世に存在した最も屈強な男達が力を合わせても、バラバラに引き裂くことはできないでしょう。
ただ堅く信じる心、想像力、詩、愛、人を愛する心だけがそのベールを左右に押し開けることができるのです。そして向こう側にある美しいものと輝くものをながめたり描いたりできるのです
それは全て本当でしょうか。ああ、ヴァージニアさん、この世界に、本当で永遠に不変なものは、これら以外には何も無いのです。
サンタクロースがいないですって! とんでもない!ああなんてありがたいことに、サンタクロースはいます。そしていつまでも生きているのです。
今から千年後まで、ヴァージニアさん、いや、今から一万年の十倍あとの未来までも、サンタクロースは子供たちの心を喜ばしてくれることでしょう。〔訳・雲井保夫〕

あとがき

『サンタクロースっているの?』、これは1897年9月21日にアメリカ合衆国のニューヨーク「ザ・サン」紙に掲載された社説です。
1897年9月、ニューヨークに住む少女ヴァージニア・オハンロンは小学校で「サンタクロースはいるのか」について同級生と口論になりました。ヴァージニアはサンタクロースはいると主張しましたが、同級生はいないと言い張りました。
帰宅したヴァージニアは医師をしていた父親にサンタクロースはいるのかと質問したところ「ザ・サン」に投書して聞いてみるように提案してくれました。それで、ヴァージニアは「サンタクロースっているの」いう問合せの手紙を送ったわけです。この投書に答えるかたちで論説委員長をしていたフランシス・ファーセルス・チャーチ氏がこの「社説」を書き上げました。この社説は大きな反響を呼びました。
その後、読者からニューヨーク「ザ・サン」紙に読者から再掲の要請が繰り返し行われたので、1920年代になると同新聞は毎年クリスマスになると再掲するようになりました。そのうちに他紙にも引用されるようになり、いまでは古典のようになって、この『サンタクロースっているの?』はクリスマスが近づくとアメリカのあちこちの新聞や雑誌に繰り返し掲載されているということです。また世界中で語り継がれてようになっています。他紙にどんどん引用されていくうちにもともとのタイトルの『サンタクロースっているの?』ではなく『はい、ヴァージニア、サンタクロースはいます』として知られるようになりました。しかし今ではニューヨーク「ザ・サン」新聞は廃刊となってしまっています。
論説委員長フランシス・ファーセルス・チャーチさん(1839年2月22日~1906年4月11日)がこの社説を書いたことは、彼の死後の1906年になってから公表されました。といいますのも、社説といのはもともと新聞社全体の意見ですから匿名で掲載されるからです。
成長したヴァージニアはニューヨークで教職に就きました。引退する前の3年間はブルックリンにある病気療養児のための公立学校の副校長などを務めました。ヴァージニアは1971年に81歳でなくなりました。ニューヨーク タイムズ紙は、ヴァージニアの訃報を第一面で報じました。その見出しは「サンタの友達、ヴァージニア・オハンロン亡くなる」でした。
【参考文献】フリー百科事典『ウィキペディア』
令和3年10月18日〔雲井  保夫  小学、中学、高校英語及び英会話講師〕

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