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歩いていたら後ろで大きな音がした。振り返るとゴミ収集車がいた。きょうは燃えるゴミの日。作業員数人で道路脇のゴミ袋を車に積み込んでいる。運転手も少し車を動かして次のゴミ集積所に止めると運転席から下りて積み込みをしている。私はご苦労様ですと頭を下げて通り過ぎた。
そのまま歩いていくと、後ろから足音が聞こえた。Tシャツ姿の若者の軽やかな足取りにジョギング中なのかなと思った。若者は細い道を入っていった。
なんとなく見ていると、細い道の先にあるアパートのゴミ箱を開けてゴミ袋を取り出した。両手に四つのゴミ袋を持ってこちらに戻ってきた。若者はゴミ収集作業員だったのだ。ゴミを持って走る姿に感動した。
歩いてゴミを集めても怠けているわけではない。正当な働き方だと思う。そこを走る。なんとりっぱな若者だろう。
宅配の荷物を持って走る人を見たときも同じことを思った。トラックから荷物を出して走り出す。その配達員の仕事への向き合い方に感動した。
しかしながら、別の見方もできる。それほどノルマが厳しいのか。走ることが正しい働き方と教育されているのか。職場を知らない私には想像するしかないが。
仕事で走る人は、自分の気持ちで走っていてほしい。仕事の充実感ややりがいを感じつつ走っていてほしいと思う。 (舞)
2024年5月23日 AM 4:55
▼全日本おかあさんコーラス三重県大会=24、お城ホール
▼第3回親旺会日本画展=23~26、アスト津5階ギャラリー
▼高橋恵理子個展=6・6~9、三重画廊
▼鼻谷勇次郎個展=6・12~16、三重画廊
▼50歳からの健康教室=28、津リージョンプラザ
▼企業と高校の採用・就職に関する情報交換会=28、メッセウイングみえ
▼第33回三重県武術太極拳フェスティバル=26、サオリーナ
▼第2回令和版松阪の円居=25、農業屋コミュニティ文化センター
▼松阪市内公民館歌踊クラブ発表会=26、農業屋コミュニティ文化センター
▼第26回三重県ギターフェスティバル=6・9、アストホール
▼EAST BIRD WIND ORCHESTRA第11回定期演奏会=6・2、お城ホール ▼初夏のコンサート2014~ヴァイオリン発表会~=6・9、サンヒルズ安濃
2024年5月23日 AM 4:55
士清生誕三百年祭も無事に終え、「谷川士清の会」も、地に足がついてきたように思えてきた五、六年前、まずは自分でやってみようと、難解な漢字の読みと意味を、県立図書館の『大漢和辞典』等で調べ、直訳で考えました。何ともたどたどしい文になってしまいましたが、道の上をしっかり踏みしめて歩いている気もしました。
話の途中、近くの安濃郡五百野、安濃郡長岡町、少し離れて、鈴鹿郡長瀬神社も出てき、三輪山を含め、士清さんが実際歩いて調べていることが想像できます。また、たくさんの書物を読んでおられることも随所から伺えました。
士清さんが『勾玉考』を出版したのが一七七四年、一六歳年下の木内石亭さんが『勾玉問答』を著したのは一七八三年です。『勾玉考』にも二人の親密さが窺える箇所があります。
松浦武四郎記念館で講義された米本一美氏の土殷けつと石亭さんが『雲根志』に書いた土殷けつ、そして士清さんが記した菅玉との関係はどうなのかと、どんどん繋がっていきました。これは勾玉は女性の憧れだけでなく男性の憧れでもあったことを証明しています。
士清さんは今でいう「子持ち勾玉」を「太古の刀剣」とし、石剣の柄頭と考えていました。この説は木内石亭や藤貞幹らに受け継がれ、「子持ち勾玉=柄頭」とされていました。この考えは、明治一七年、神田孝平(洋学者・蘭学者・政治家)が『日本太古石器考』において一〇項目ほどの理由で「子持ち勾玉=勾玉の一種」とするまで続きました。特に次の二つが印象に残ります。○勾玉は多く古墳より出るが、石剣頭は未だかつて古墳から出たとは聞かない。○曲玉も子持ち勾玉も小さな穴がひとつある。
士清さんも人間、間違いもあるんだと思えた話でした。
士清さんの人柄をよく表している部分を訳で書きます。
「右勾玉考一篇、諸家塾に刻む、似て同志に差し上げる、ただ転写の労を省くのみ、発売はゆるさず、総じて全体の利益である」
(谷川士清の会顧問)
2024年5月23日 AM 4:55