社会

草深さん(左)と前葉市長

 6月14日、津市役所の前葉泰幸市長を、9月に宮崎県宮崎市の木崎浜海岸で行われる「第58回全日本サーフィン選手権大会」のSWガールズ(13~16歳)に出場する草深心虹さん(14、豊里中3年)が訪問した。
 草深さんは祖父、両親と共にサーフィンを楽しんでいた影響で幼少期より海に親しんでいた。11歳の時にサーフィンを始めると、すぐに頭角を現し、始めた年から4年連続で全日本選手権への出場を果たしている。サーフィンができる環境が家の近くにないため、現在も週末などの休日に家族の運転で、志摩市の国府浜にまで足を伸ばして練習を重ねている。 
 草深さんは前葉市長を前に「4年連続の全日本なので悔いのないように精一杯頑張りたい」と意気込みを語った。これを受けた前葉市長は「中学校最後の大会だが、高校生になるともっと大きな大会にも出られるようになると思うので、思い出に残る大会になるようベストを尽くしてほしい」と激励した。 

PVを超えた価値の創出へ 従来のモデルからの脱却図る

 日々の暮らしの中に潜む未知からまちづくりまで、多彩な三重の姿を発信しているウェブマガジン「OTONAMIE」。懐かしさとワクワク感が入り混じる様子を「オトナミエっぽい」と表現するファンもいるなど、独自の立ち位置を確立している。代表・村山祐介さん(44)にこれまでの歩みや、多くの県民が気付かない三重の魅力などを聞いた。全3回の第1回。(聞き手=本紙報道部長・麻生純矢)

OTONAMIE代表・村山さん

─まずは、多くの記者の目を通じて、三重県内の情報を楽しく発信するウェブマガジン「ОTОNAМIE(以下オトナミエ)」を始めるきっかけを教えてください。
 村山 きっかけは東京から帰ってきて結婚し、週末にどこに行けば良いかわからなかったことです。特に大学と仕事でブランクがあると、本当に情報が無くて。東京だと地下鉄の駅ごとにフリーペーパーがあったり、テレビですぐ行ける店が紹介されているので、それに慣れると情報がないのは大変。情報を意識し始めたのはここでした。
 ちょうどその頃、スマホが普及して皆さんがフェイスブックをやり始めました。私もデザインの仕事をしているので、情報をまとめたウェブメディアを利用することが多いのですが、これを三重県のローカルで利用できないかと考えました。
─ポータルサイト(様々なサイトへのリンクをまとめたサイト)みたいなイメージですか?
 村山 ポータルサイトはトップページに行ってそこから調べていくという感じですが、ウェブマガジンとかウェブメディアは、常に新着記事が上がっているニュースサイトみたいなイメージ。
 当時、地方創生って言葉も出てきていたのですが、なるべく難しい言葉を使わず、行政だと縛りがあって出来ないことをやろうと、アンドマーク㈱の佐藤成章君と二人で立ち上げました。
 始めた当初はどうすれば面白くなるかなど分かってなかったので絶対に一日一本記事をアップするというルールを設けていました。しかし、物理的に限界もあるし、2人の住んでる周りのことしか上がってこないから全然面白くなくて。当時ブログをやっている人も多かったのですが、個人のものはそれほど見てもらえていなかったので、そういった人が集まれば、書いたら見てもらえるという形を作れるのではないかと、2016年10月にオトナミエをスタートしました。
 最初は芸能人とのタイアップなど色々なことをしたのですが、その後に記者を募集をしたら一日20人くらい集まって、すぐに100人くらいになりました。現在ボランティアから本職のライターまで登録している記者が約220人。日々記事をアップするだけでなく、仕事やプライベートでも繋がる記者同士のコミュニティができたこともとてもよかったです。
─素晴らしいですね。一人で見えるものやできることには限界がある。記者同士で互いに高め合える環境は、かけがえがないと感じます。
 村山 掲載する記事の質について考えていく中で、とある記者さんに「オトナミエは雑多なのが良い」と言われました。記者それぞれの表現があるし、例えばトレイルランが好きな人はそれしか上げてこない。興味がない人には必要ないかもしれないけれど、やっている人には凄い情報。だから、色々な人が書きやすい環境をつくるために、問題のあるもの以外は、あえて記事の質というものを判断せず、掲載するようにしています。 
─ビジネスとしてページビュー(PV)数も意識してますか?
 村山 最初は凄く意識をしてました。でも、どれだけ頑張っても月間10万PVが超えられなかったんです。そんな時、滋賀県のしがトコというメディアの方とお話をして、やっぱりどう頑張っても月10万PVと言われました。「そもそも田舎でこれ以上は伸びへんのちゃう?」とも言われ、田舎においてPV数は意味がないと感じ、追うのをやめました。数ではないところに重きを置き始めると、気楽になって好きなことが書けるようになりました。
 最近、インスタグラムなどを見ていても、凄く沢山フォロワーがいるアカウントは、アルゴリズム(検索などで上位表示されるために必要なプロセス)に則った動画を上げていて皆同じスタイルになってしまいがちです。そういう時に、例えば、自分の子供の写真を上げている人の投稿を見るとほっこりします。むしろ、そっちの方が面白いんじゃないかと。
─確かにPV数を稼ごうと走り続けた結果、本末転倒になってしまうことはありそうですね。
 村山 従来のウェブメディアのモデルを継続させていこうとすると結果そうなってしまうと感じます。(次号に続く)

第一次目標の1億円近し!  復元への期待高まる

 津市のふるさと納税制度「ふるさと津かがやき寄附」の使途項目「津城跡の整備」への寄附金が7500万円を突破した。設立10周年を迎えた「津城復元の会」の募金活動や復元資金造成コンサートやコンペなど地道な活動で浄財を集めており、ふるさと納税の普及も追い風となり、年間1000万円前後が同項目に集まる。津市も津城跡の整備に動き始めており、〝津城復元〟に向けた期待が高まっている。

復元が期待されている津城跡本丸北面
コンサートで集まった浄財を前葉市長(中央)へ

 『ふるさと津かがやき寄附』の使途項目には、今から10年前の2014年より「津城跡の整備」が設けられており、全額が実質的な津城復元の基金として積み立てられている。
 同じく10年前に設立した「津城復元の会」=西田久光会長=は松菱や津まつりをはじめとする市内イベントでの街頭募金、協力店への募金箱設置などを実施。更に、コンサートやゴルフコンペも企画し、そこで得た浄財も寄附している。
 今年も4月14日に津リージョンプラザお城ホールで「津城復元第8回資金造成チャリティーコンサート」を実施。5月14日には、津市役所の前葉泰幸市長の下を津城復元の会メンバー、出演したマンハイム・カルテットの中村葉子さん、一絃琴正流・清壽会の津市分部、本願寺住職・荒井眞道尼、会場運営にも協力した安濃津ガイド会の藤本智恵子さんが訪れ、浄財60万3060円を寄附した。内訳はコンサートの収益金48万9270円、当日の会場募金9万3335円、藤本さんが会場で販売した津の銘菓の売上金2万485円。事務局長の小菅雅司さんが「今回は会場募金で9万円以上が集まったこともあり、皆さんにご協力を頂けて感謝している」と挨拶。前葉市長は「今日頂いたお金で、津城跡の集まった金額は7500万円を突破した。皆さんの積み重ねのおかげで大変重く感じている」と感謝した。更に、津城跡の石垣を傷めている可能性がある樹木を15本伐採したことや、今年は旧社会福祉センターの解体工事に向けた設計に入り、工事が終われば、天守台が見えやすくなるなど具体的な整備に取り組んでいることを説明した。津城跡の整備への寄附は4月末現在で7509万1287円。この日の寄附などを合わせれば、更に金額は積みあがっている。
 近年では、ポータルサイトも充実し、ふるさと納税の返礼品の比較検討が容易。確定申告を受けずに寄附控除が受けられるワンストップ申請など、スマートフォン上で手続きが完結することもあり、制度の利用が当たり前となっている。そういった背景もあり、津城跡の整備の項目へは近年、年間1000万円前後が集まっている。津城復元の会が掲げてきた第一次目標の1億円の達成は近いとみられる。津城復元の会の西田会長はコンサートの際に「令和6年度を復元元年と位置づけている。目指すは2030年の津藩祖・藤堂高虎公が亡くなって400年。高虎公が津城の顔として建てた北面を復元したい」と語っている。官民協働で、中心市街地の大門・丸之内地区の新たな姿を描く未来ビジョンに基づく様々な取組みが進められているが、その中で津城跡も貴重な観光資源と位置付けられている。復元が実現すれば、経済的な波及効果も期待できるため、一層踏み込んだ議論が期待される。
 ※前号掲載の津城復元第8回資金造成コンサートの寄付額62万円は演奏会終了直後の速報値で、最終的には60万3060円でした。

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