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津駅北隣り、アスト津地下にオープンしたドッグサンド&ふわふわおにぎりの店「びびっど」は、気軽に食べられるバラエティ豊かなメニューと、若い男性も満足するボリュームが人気。
ドッグサンドの長さは17㎝(70g)、定番の「あらびきソーセージ」400円をはじめ「名古屋風味味噌カツ」580円、「大海老フライ」680円、女性に人気の「季節のフルーツ」580円、「カスタードホイップ」320円など全30種。
ふわっとにぎったおにぎりは、ドーンと1個120g!一番人気の「ほぐし鮭」320円ほか、「海老天」360円、「松阪牛焼肉」580円など全30種。
単品のほかに店内で食べられるセットメニュー(洋風まはた和風)も用意されている。
もちろん、テイクアウトもできるので、事務所での昼食や、夕食用に仕事帰りに買っていく人も多い。
実は同店、夜は洋風居酒屋にもなる。今月4日からは60分間もスタート。メニューは「焼肉・骨付き牛カルビ食べ放題」一人1280円、「国産・手羽先食べ放題」「大阪・揚げ餃子食べ放題」が各980円(但しグループ内は同コースで。アルコール注文の場合はお通し料300円別途)。
問い合わせは☎059・221・0007、昼11時~15時。夜17時~23時。
2020年11月25日 PM 12:18
JAF(一般社団法人・日本自動車連盟)三重支部(川喜田久支部長)は11日、津市立藤水小学校で津市が開いた交通安全教室に協力。「シートベルト効果体験車」を持ち込み、児童約40名がシートベルトの安全性を体験した。秋の交通安全運動に呼応して企画したもの。
三重県警によると、昨年の自動車乗車事故の死者29人中、シートベルト非着用者は17人だが、そのうち12人はシートベルトを着用していれば命が助かったと推定している。
当日はJAFが所有する体験車に1年生が交替で座り、時速5㎞の衝突疑似体験。時速5㎞といえども、衝突の衝撃は想像以上。児童らはびっくりしながらも、前方投げ出される身体をしっかりホールドするシートベルトの重要性を実感した。
2020年9月24日 AM 4:55
1日、白山総合文化センターしらさぎホールで津市観光ボランティアガイド・ネットワーク協議会会長である本紙・西田久光会長が「津藩・久居藩の江戸屋敷」と題して講演。併せて史料展示も行った。一般を含め141名が聴講。西田会長は東京で行った調査等をもとに、津藩上屋敷の変遷や津藩下屋敷の中でも最大規模の染井下屋敷、屋敷の位置の近さからも伺える両藩の密接な関係等について語った。
講演・展示会場が同ホールになったのは西田会長が同センターうぐいす図書館に「津藩・久居藩の江戸屋敷」に関するものを含む私蔵の書籍・史料約2500冊を寄贈したのがきっかけ。主催は津観光ガイドネットほか。
西田会長が、約6年前に東京で津藩ゆかりの地をめぐり丹念に調査した結果等をもとに語った。
まず、江戸幕府開府後の各大名の藩邸に関する流れや、津藩の藩邸の種類について、「関ケ原の戦いで勝利した徳川家康は慶長8年(1603)に征夷大将軍になり、江戸が将軍の都市に。それまで大阪に集まっていた各大名の屋敷を江戸に引っ張ってくることになった。同10年(1605)、津藩祖・藤堂高虎が西国大名、伊達政宗が東国大名をリードし江戸に人質として自分の妻と跡継ぎを置き、江戸幕府に従う手本を示した。これを機に、各大名の屋敷が江戸にできていきます。
藩邸の種類は、大名が幕府から無償で頂いた屋敷は『拝領屋敷』、自分で購入する『抱屋敷』、『上屋敷』は幕府が提供する公の屋敷、人質用の『中屋敷』、別荘の『下屋敷』、『蔵屋敷』に大別される。ただ、どの大名でも上・中・下・蔵の4屋敷を持っているわけではなく、江戸時代の約270あった藩のうち7割が1、2万石の小さな大名で、揃えられるのは中クラス以上の大名だった。藤堂家は、幕末の大名の中では徳川御三家を除くと全国でも10番目に大きい、大大名ですから4屋敷を持っていた」と説明。
続いて、現代の東京にある津藩の名残として、台東区上野恩賜公園の、初期の下屋敷跡などを紹介した。
そして津藩上屋敷についの変遷を、「一般に、『津藩の上屋敷は向柳原(千代田区神田和泉町、1万4568坪)』と思われがちだが、実はこれは3代目で、初代は辰ノ口(千代田区大手町2丁目、約5600坪)の屋敷。明暦3年(1657)の振袖火事で江戸が丸焼けになる時まで在った。この火事がきっかけで江戸の町が大改造され、辰ノ口の上屋敷も御茶ノ水(文京区湯島1丁目)に移転したが、同4年の火災で屋敷の一部が類焼し再移転。跡地は後に幕府学問所と鉄砲場となった。
その後、向柳原の中屋敷が上屋敷に昇格し、3代目上屋敷となった。江戸時代は武家地には町名がなかったが、歴代津藩主のほとんどが『和泉守』を名乗ったことから和泉町と呼ばれるようになり、明治5年(1872)、『神田和泉町』の町名が正式に誕生した」と説明した。
また、津藩下屋敷の中でも最大規模の染井下屋敷(豊島区駒込3~7丁目)について「拝領屋敷・抱屋敷・借地を合わせて約8万坪とも言われ、庭園部分だけでも2万坪あり、庭園には幅10間(18m)もの広い大通りを造り、稀少な動植物を集めた。このような広い通りを造るということは、当初から、地元の人などに開放し時々観てもらうという構想だったんだと思う」。
久居藩の江戸屋敷についても「上屋敷(7164坪)は、神田和泉町の北側、道路1本隔てた、現在、凸版印刷の社屋がある辺りにあった。本家津藩の中屋敷を譲り受けたもの」など丁寧に説明し、最後に、「この調査で痛感したのは、両藩の密接な繋がり。本家津藩と分家久居藩の上・中・下屋敷の位置が、近接している。本家12代のうち、3分の1の4人は久居のお殿さんの横すべりだったことからも分かるが、津藩・久居藩の関係が非常に深いことを、江戸の両藩の屋敷を見ることで改めて再認識している」と締めくくった。
なお、この講演は都市環境ゼミナールが初の試みとして会員にリモート配信を行った。
2020年7月9日 AM 5:00