歩きへんろ夫婦旅

本堂と法華仙人堂跡(奥)

 4月1日、32日目、朝から雨。リュックなし、参拝用具だけの身軽な岩屋寺詣でだが、雨中の遍路転がし八丁坂越えはきつそうだ。前日うどんに執着したバチがあたったのか、お大師さんから厳しくもありがたい修行を与えられたようだ。
 ぼくらの計画は、往路は県道12号を進み途中から遍路道に入って八丁坂で標高760mの峠を越え急斜面の中腹670mの岩屋寺に下る約11キロ。復路は230m下の駐車場に下り古岩屋奇岩群を見物するオール県道コースに変え13キロ、都合約24キロの行程。
  7時8分出発。峠御堂トンネルを抜け坂を下り県道から少し脇に入って河合の遍路小屋で休憩。国交省と県が協力して道標などを整備している『四国のみち』の関連事業なのか、立派な休憩所で洋式シャワートイレ付き。岩屋寺まであと6・5キロ。再び県道に出て上り坂の途中で下ってきた初老の男性遍路に会う。八丁坂の様子を聞くと「それほどでもないですよ」と。ちょっと安心。下りに入ると今度はロストおじさんに再会。古岩屋荘の温泉がすごく良かったとか。手を振って別れた。
 9時14分、県道から本来の参詣道、八丁坂の登り口に差しかかるや雨足が強まり本降りに変わった。茂みの中に続く遍路道、木々の葉で蓄えられ大粒化した雨が菅笠にボタボタと落ちてくる。地道の濡れ落ち葉は滑りやすく危険だ。足許に注意しながら山道をお杖の力を借りてゆっくり登る。確かに急勾配に違いないが息が切れるほどではない。30分ほどでトップの760mを越え、下り始める。こっちの方が明らかに斜度はきつく危険だった。
 岩屋寺は法華なる女仙人が住んでいたが空海に帰依し全山を献じたと伝える。一帯は隆起した凝灰岩が風雨に浸され異形の岩肌をさらす峰が続き荒磯の趣。海岸山岩屋寺とは言い得て妙である。雨にうたれながら険しい山道を下りる。やがて見上げるような大岩が裂けた逼割行場。更に林の中に点在する三十六童子行場……霊気漂う一帯を抜け小ぶりの古びた山門をくぐり10時半、無事境内に降り立つ。県道脇の駐車場から登ってくる車遍路用山門の方が遥かに立派なのだが、こっちが正規の山門である。
 その山門に近い側から大師堂、本堂、その向こうにそびえる断崖の横穴に梯子をかけた法華仙人堂跡と続く。山腹の急斜面を削るようにして設けられた岩屋寺の境内は狭い。そこに車遍路が溢れていた。雨足は一向に衰えない。お参りを済ませ梯子に向かう。
 1週間ほど前、不幸にも大阪茨木市の男性遍路が梯子を下りようとして7mの高さから転落死。歩き遍路の間で大きな話題になっていた。ベテラン遍路の話では木製ながら頑丈で転落は考えられないという。脳梗塞あるいは心筋梗塞に襲われたのかも。その後に聞いた話では梯子を背にして前向きで降りようとして転落したのだとか。普通考えられない降り方である。魔に見入られたのか……。安全に過敏な昨今、当面禁止かと思ったら上る時は注意するよう掲示してあるだけ。過去40年で初めての死亡事故。特異な事例とし上る人は自己責任でということ。岩屋寺は腹が座っている。
  ぼくは高所恐怖症、一段一段確かめながら上る。横穴の奥行きは1m強、床は板張り。仙人の供養塔?が安置され、雨に煙る眺望はまさに仙境だった。法華仙人に、そしてぼくと同じ還暦だという亡くなった方の御霊に光明真言を手向け、梯子を慎重に降りる。入れ替わりに女房も上った。
 境内の休憩所で早昼。女将が持たせてくれた雉ご飯のおにぎりを頂く。味にコクがあって実にうまい。
 11時半、降りやまぬ雨のなか下山。駐車場から本堂まで距離600mで230m上る急勾配。傘を手にした車遍路は皆さんゼイゼイ息を切らせながら登ってくる。ここは車遍路にとっての『遍路転がし』だった。
 登り口にほど近い所に土産物屋があった。店頭の立て看板が目を引く。一枚は『自民党も民主党もアカン!おみやげは生姜糖にしよう』。そしてもう一枚には『まだまだこれからじゃ、岩屋の坂と人生は』と書かれていた。 (西田久光)

大宝寺仁王門の大わらじ

 31日目、今日で3月は終わりだ。歩いて、お参りして、また歩いて、峠を越えて……いつしか一月がたってゆく。歩き旅になれてきたのか、女房ともども足の指の付け根あたりにマメができては消え、できては消えを繰り返しているものの痛みは苦にならない。小指の激痛でなかば足を引きずりながら必死で歩いた丸1週間はなんだったのか、嘘のように思えてしまう。
 曇り後薄日、夕方より小雨。ロストおじさんは44番大宝寺(久万高原町菅生)を翌日にして先に45番岩屋寺(同町七鳥)を打ち、少し下った国民宿舎古岩屋荘に泊まると言って5時27分の早出。ぼくらは岩屋寺参りの基地にと初めて連泊する久万高原町役場近くの宿『笛ケ滝』に先に寄り、リュックを置いて大宝寺までの1・5キロを往復する計画。行程20・4キロと昨日に続いて短いが、久しぶりの『遍路転がし』が控える翌日に備え宿でゆっくり休めるよう6時35分発。
 集落の出外れで鮮烈な印象を受けた小田川に別れを告げ国道380号を緩やかに上る。標高570mの新真弓トンネルで最初の峠越え。続いて農祖峠。『とうげ』ではなく『とう』と読む。標高は651m。麓との高低差は160mほど。遍路道は思ったより緩やかで道幅も広く歩きやすい。峠を降りて少し車道を歩き再び下野尻の遍路道で小さな峠を越え、11時すぎ国道33号に出る。峠道にもう少し手こずると思っていたのだが、予定より1時間も早い。ただ、やはりアップダウンの繰り返しは足にじわじわと効いてくる。スタミナをかなり消耗していた。
 地図帳にある少し先のうどんの亀の井に入ることにした。ところがそれらしい店がない。見落としたかと国道を逆戻り。やっぱりない。潰れちゃったの?温かいうどんが食べられると思っていたのに食べられないとなると、急に腹が減りだし無性にうどんが食べたくなる。全くもって修行が足りない証拠だけど、愚禿久光、食べたいものは食べたい。うどんうどんと念じつつ数百メートル進むと、あった。それも2軒並んで。地図帳改訂時と状況がすっかり変わっていたのだ。飲食店の栄枯盛衰はいずこも激しい。11時半、待望のうどんにありついた。具を自分で選び取る讃岐うどん方式。満足、満足。
  1時間20分も休憩したが体が重い。途中コンビニにも寄り小1時間で宿。荷物を預け身軽になって少し楽に。川を渡ったところに88カ所の真ん中、『へそ寺』44番大宝寺の総門。1キロほど門前町を進み更に急な砂利道の表参道を登ると風格のある仁王門。室町期、越前の大仏師作という像高約3mの仁王像、4mはあろうか巨大ワラジ……坂下に数台車が停められるが、車遍路のほとんどは本堂手前の駐車場まで直行してしまう。この仁王門を拝めるのは歩き遍路の特権か。
 3時半、宿着。笛ケ滝は料理屋を兼業。客室は1kマンション風。部屋に家庭風呂、洋式水洗トイレ、ベランダも付いて快適。夕食までたっぷりと時間がありゆっくり風呂に入る。湯上がりに足の爪を切っていたら土佐で丸1週間苦しめられた左足小指の爪がポロリと床に落ちた。唖然として爪のない小指を恐る恐るさわってみる。何の痛みもない…不思議だった。
 気さくで話好きの女将の自慢は、ご主人が研究を重ね自分で孵化させ養殖している日本雉を使った料理。雉の脂質はあっさりとして品がよい。10余年ぶりに味わう雉鍋は格別だった。来年還暦を迎える女将の将来の夢は、今よりもっと小さく定員5人くらいの家庭的な民宿の経営である。
 明日は岩屋寺。山道は危険だから注意してという。数年前、一人旅の女性遍路が岩屋寺に向かった。ところが暗くなっても帰らず、荷物を預かっていた宿がおかしいと警察に連絡したが動いてくれなかった。困って消防団に相談したら大捜索をやってくれた。初日は手がかりなし。2日目、岩屋寺近くの谷底で肋骨を折り声も出せずに横たわる女性を発見。道に迷い足を滑らせ転落。奇跡的な生還だった。件の女性は後日お礼参りに来たとか。旅になれてきたが過信は絶対禁物と知らされた。(西田久光)

小田川沿いに3階建民家が並ぶ大瀬地区

   30日目。晴れ、朝は冷え込み気温1度だが、ありがたいことに風はなし。今日の行程は宿の関係で小田川の上流、内子町小田のふじや旅館までの19キロ。峠はなく急げばお昼には着いてしまう距離。足休めの日と決め、遅出の8時9分発。
 普通、内子では重文指定の和蝋燭の豪商宅が何軒もある伝建地区の旧街道を通るのだが、松乃屋の女将さんのお奨めは知清橋を渡り小田川沿いにある桜満開の知清公園を通って道の駅・内子フレッシュパークからりに出るコース。伝建地区は6年前に観てあるので女将の言に従うことにした。
 知清橋の欄干は上に瓦を乗せたナマコ壁風。橋の上から望む知清公園の桜は女将が自慢するだけあって綿菓子さながらボリュームたっぷり。だけどそれ以上に驚いたのは小田川の水。澄んで透明感あふれる文句のない清流。水深が浅いせいもあるのかなと思ったが、小田川に沿って歩き続けたこの日の行程で完全に誤りであることを知る。どこまでも瀬は水の存在を感じさせないほど透き通り、淵は吸い込まれるような深い青をたたえているのだ。
 桜のトンネルをくぐり、吊り橋を渡ると、林の中のあちこちに椅子・テーブルを置いたオープンテラス。横に飲食系の店が並んでいる。奧が農産物直売所。トイレもモダンできれい。素敵な道の駅だった。開店準備中のパン屋で昼用のパンを特別に売って貰った。
 11時過ぎ旧大瀬村の大瀬地区に。ここはノーベル賞作家・大江健三郎の故郷。国道379号の旧道は橋を渡り集落の中を通るのだが清流を眺め続けたい気分でそのまま新道を進む。対岸の家並みはほとんどが3階建て。新しい家が多くなかなかの壮観。実は旧道側にある玄関は2階部分。地形を活かした独特の造りである。健三郎の母校・大瀬小学校も銀鉛色に輝く民家の甍の向こうに見える。彼の小説からもっと辺鄙な森の中に民家が点在する村を想像していたが、深い谷間で小さくはあるが村の中心部は意外と『まち』だった。
 『まち』を過ぎ少し行くと道端で車椅子に座って日向ぼっこしている老人がいた。目深に帽子をかぶり大きなマスクをしている。フリースの上下、首にはマフラー。挨拶して通り過ぎようとすると「お遍路さん、お遍路さん」と呼び止められた。「ここから200mほどいったら自販機があるからお茶でも買って」と女房とぼくに130円ずつ。ありがたく頂戴し納め札を渡す。歳を聞けばなんと97歳。百歳までもう少しで届く大おじいちゃんから現金のお接待を頂くなんて、すごく嬉しくなった。
 11時52分、大瀬東のトイレ付き遍路小屋でお昼の休憩にした。傍に花などを置いた無人直売所、自販機。遍路小屋の天井は丸竹を敷きつめ庇には風鈴一つ。隣に手水舎があり谷からの引き水が軽やかな音を立てこんこんと湧き出ている。宿まではあと6キロ。パンを食べた後、ぽかぽかと温かい陽差しに眠気を誘われてベンチに横になる。お遍路に出て初めての昼寝をすることにした。時おり谷間を渡るそよ風に歌う風鈴……至福の時を過ごす。
 1時出発。険しいV字谷の斜面に石垣を積み上げた民家が目立つ。頭上はるかにも何軒かの家。見ているだけで大雨が心配になる。
 しばらく行くと初老の男性遍路がガードレールにもたれ裸足でストレッチをしていた。土踏まずが痛いとかなり苦しそう。「休憩すれば大丈夫でしょう」と言うのでそのまま別れた。
 2時半、道の駅せせらぎ着。30分時間を潰し、それでも3時15分に宿着。部屋でくつろいでいると後着の人の声に聞き覚え!「できそうな感じが続いているのに、なぜかまだマメができない」と、まだまだ元気なロストおじさんだった。
 宿泊客は5人。夕食時、土踏まずが痛いと言っていた男性遍路の話をしたら大阪の方が「それは疲れからくる肉離れ。前回ぼくも88番の手前でなり痛みを堪えて必死で結願して帰宅したら、病院通いで治るまで1カ月かかった。そのまま無理すると疲労骨折を起こすらしい。その人、もうリタイヤした方が良いよ」と。歩き遍路はどこにでも魔が潜んでいる。(西田久光)

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