特別寄稿

山田町のゆるキャラ「ヤマダちゃん」「たけちゃん」と津のゆるキャラ達(山田町にて)

 おはようございます!津に来て戦隊ツヨインジャーのツヨレッドです!
 熊本のくまもん、今治のバリィさん、彦根のひこにゃん、今や地域の情報発信や活性化にはかかせない存在になったご当地キャラクター。
 津市でも、シロモチくん、ゴーちゃん、ツヨインジャーをはじめとする11のキャラクター(通称「津ぅキャラ」)達が津市を盛り上げるために日夜、活躍しています。
 ご存知のとおり、各キャラクターは、それぞれ生まれた時にPRを行う使命をもっており、シロモチくんなら城作りの名手、藤堂高虎公、ゴーちゃんなら幼少期を津で過ごした浅井三姉妹の江姫、ツヨインジャーなら津の良い(ツヨイ)もののPRなどです。
 私の考えるところでは、ご当地キャラは全国区の観光地や名所でなくとも、地域の「やる気」を原動力に、一流の観光地と戦える武器になりえると思います。そんなキャラクターたちの活動の転機になったのが、2011年3月11日の東日本大震災の発生でした。そのとき日本各地でイベントや行事が中止や自粛となりました。もちろんキャラクターの出演も自粛ムードになりました。
 そんな中、我々は「こんなときこそ地域を笑顔にするキャラクター達の力が必要なんじゃないか!」と奮い立ち、仲間たちに声をかけ、ともに街頭でのキャラクターによる募金活動を行いました。この募金活動にはたくさんの方の協力や賛同をいただき、おかげさまで多くの募金を被災地に届けることが出来ました。
 このとき強く感じたのが、キャラクターには地域を元気にするだけでなく、いろいろな人の思いを実現させる「力」があるということでした。
 そして翌年2012年8月には、それら津市内のキャラクター活動の熱心なメンバーを集め「津ぅキャラえがおとどけ隊」を結成し、みえ災害ボランティア支援センターの「ボラパックⅡ」にて、岩手県山田町への災害復興のボランティア活動に参加しました。
 山田町では、キャラクターで仮設住宅や各福祉施設を訪問し、キャラクターとの「ふれあい」を通じ、被災地の皆さんが少しでも「笑顔」になれるような活動をしました。どの訪問先でも子どもたちは笑顔で出迎えてくれ、ある施設ではおばあちゃんが「よく山田町まで来てくれました」と涙を流しながら握手をしてくれたこともありました。
 このキャラクターでの活動が被災地の皆さんを勇気づける「心の復興」の一助になればと心から感じるとともに、我々も山田町のみなさんから震災復興にかけるかけがえのない「思い」をもらったような気がしました。
 その思いが通じたのか、津ぅキャラたちの活動が山田町のみなさんの印象に大きく残り、今年になり山田町にご当地キャラを誕生させようという事業に発展しました。
 我々「津ぅキャラえがおとどけ隊」のメンバーもこの制作実行委員会に入れていただき、キャラクター制作や運営のアドバイザーとして、制作会議や選考会などに数回参加させていただきました。
 そしてついに、9月15日「復興山田がんばっぺし祭り」にて、山田町のご当地キャラ「ヤマダちゃん」「たけちゃん」が誕生し、無事お披露目することができました。
 この山田町のキャラクターが、山田町のみなさんを笑顔にし、その笑顔が自らの力で前向きに未来へと歩むことができる「原動力」になって欲しいと切に思います。
 最後に、キャラクターと子ども達がふれあうことで、それのことが子どもたちにとって「楽しい思い出」として、将来、この地域で生きていこうという「地域愛」へと育まれていくのではないでしょうか。
 これからも、津市の情報発信、地域活性化だけでなく、地域のみなさんが自分たちの住む地域に愛着が持て、子どもたちの笑顔があふれる「誇れる地域」に少しでも近づけるよう津ぅキャラたちはがんばります!今後とも津ぅキャラたちの応援よろしくお願いいたします!
 (ツヨインジャー(ツヨレッド) 津ぅキャラえがおとどけ隊 隊長)

 「たこ焼きで世界中の人を幸せにします!」三重大学4年生の2月に、東京で開かれた「wiz TABIPPO」というコンテストに参加した。2200人の前でプレゼンし、自分の夢を語った。約500人の応募者から、僕はその大会で優勝した。優勝賞品は「世界一周航空券」だった。
 その頃、すでに4月から就職が決まっていたが、入社を辞退させていただき、世界を周ることを決意した。
 「バカじゃないの。」「早く働け。」「就職辞退なんてもったいない。」そんなことも言われた。でも、親は僕にこう言った。「お前の人生やから好きなように生きろ。20代は何でもやったらええねん。」
 僕の両親は今まで僕がやることをすべて認めてくれ、応援してくれた。浪人、三重大学進学、たこ焼き屋起業、休学、旅、そして入社辞退からの世界旅。すべてにYesと言ってくれた。僕はこの二人のもとに生まれて本当に幸せだと思う。
 コンテストから5カ月が経ち、旅立ちの日を迎えた。旅に必要な道具をバックパックにつめる。パスポート、服、カメラ、日用品、そして、たこ焼きの道具。大学1年の時にたこ焼き屋を起業して5年が経つ。これが今この旅に繋がっていると想うと不思議である。
 「たこ焼きを世界中で焼いて、人を笑顔にするんだ。」この大義名分のもと、僕の旅はスタートする。
 スタートから2カ月半が経った。モンゴル、中国、東チベット、ベトナム、ラオス、タイ、バングラデシュと旅をして、現在はネパールにいる。これまでモンゴル、ベトナム、タイでたこ焼きの店を出した。ラオスでは托鉢で僧侶に食べてもらった。
 「何だよこの食べ物!」「どうやって作るんだ?」「何が入ってるんだ?!」そう言って集まってくる人々。そしてたくさんの人が笑顔になる。熱々のたこ焼きを頬張り「おいしい!」って言いながら笑っている。この瞬間が最高に嬉しい。「たこ焼きは人を笑顔にする。」そう断言して日本を飛び出したけど、それは間違っていなかった。これからもいろんな国でたこ焼きを焼いていきたい。
 僕がこのような旅をするきっかけになったのが、1年前のモロッコのエッサウィラという街でたこ焼き屋を開いたことである。モロッコの道端で営業していた時、一人の男性が買いにきた。そして一言こう言った。「俺のピザ屋の前で店だせよ!」それがピザ屋のアナスとの出会いだった。それから3日間アナスの店の前で出店した。たこ焼きはとてもよく売れた。別れの日、店を貸してくれたアナスにレシピと技術と道具をすべて渡した。「アナス、がんばれよ!」って言いながらお互い抱き合った。
 あれから1年が経つ。アナスは今どうしてるんだろうって。先日、モロッコを旅されていた方からメッセージがあった。「モロッコでたこ焼き屋を見つけました。」その方のブログをみた瞬間に、ぶわーってモロッコでの記憶が蘇った。
 自分が本気でやってきたことが人を動かし、国境を越えて人を笑顔にする。こんなに嬉しいことはない。今でもアナスのたこ焼きを食べたっていう旅人にたくさん会う。「すごく売れていたよ!」「美味しかったよ!」っていう言葉を聞く度に、たこ焼き屋をやってて良かったなって思う。
  これから先、まだまだたくさんの国を旅する。たくさんの国でたこ焼きを焼く。世界中の人の笑顔が見たいから、重い鉄板かついで、世界を歩いて行きます。(森田 松之助(たこのすけ))

 久居が生んだ近代農業土木の権威者で、故・上野英三郎博士とハチ公の銅像を建てる会(元代表・多田滋郎氏)の構想で昨年10月20日に近鉄久居駅東口の入口「緑の風公園」に、上野博士と忠犬ハチ公の一対の銅像が建立され、除幕式が行われました。 
 銅像が立派に完成し、東京渋谷区企画部長、大館市長、津市長、津商工会議所会頭など、多数のご臨席を仰ぎ、めでたく除幕式が行われてから、早や一年になろうとしております。銅像制作を担当した日展の評議員でもある稲垣克次氏の力作は、接した人の感動を呼でおり、特筆すべきでありましょう。
 銅像完成に至るまでの間、会では一般より広く「博士と忠犬ハチ公」の詩を募集したところ、全国より素晴らしい25編の作品の応募があり、有識者の審査の結果、秋田大館、東京渋谷、津市久居が点と線で結ばれた内容の詩「ああ忠犬ハチ公よ」=森本アキラ・作詞=の作品が一席に選ばれ、作曲を元代表の兄である多田逸郎氏(東京芸大)に依頼し、楽曲が完成しました。
 建てる会の意志を受け継いだ「ハチ公の歌を歌おう会」=後藤晃一会長=も同時期に設立され、唱歌「ああ忠犬ハチ公よ」は除幕式に華をそえ、NHKをはじめ各報道機関で取り上げられ、全国に配信されました。
 今ではこのCDは国立国会図書館にも収蔵されておりますが、9月2日からは第一興商=東京=のカラオケ「DAM」でも全国配信されており、静かなブームをおこしております。
 歌おう会では、本年2月に津市内全域の小中学校及び幼稚園へ津市及び津市教育委員会を通じて無償配布を実現し、引き続き3月には、三重県及び三重県教育委員会の計らいによって県内の小中学校の全校に無償配布を実現しております。
 なお、東京渋谷区・秋田大館市・東京大学にも贈呈しており、官民一体の友好都市の先駆けになればと期待するものです。
 さらに、歌おう会では、先に発表した唱歌「ああ忠犬ハチ公よ」に続いて「博士のハチ公音頭」=作曲・平松征史氏=を近く発売します。銅像を建てる会の意志を継ぐ会としては、上野英三郎博士とハチ公の顕彰歌として制作できたことを喜ばしく思っております。
 元代表が所属する久居ライオンズクラブ=棚橋稔会長=でも、新年度の記念事業の一環として近々、市内老人福祉施設20カ所に、唱歌「ああ忠犬ハチ公よ」と合わせて、「博士のハチ公音頭」のCDを贈呈することが決まっております。
 さて、銅像を建てる会の理念はあくまでも上野英三郎博士の功績を讃えるための活動であり「ああ忠犬ハチ公よ」の歌詞はそれを地でゆくものであり、「博士のハチ公音頭」もまた又、その歌詞を基調にした楽曲で、親しみがもてる歌に仕上がっています。
 上野英三郎博士とハチ公の忠誠心を久居から全国に向けて発信し続けることこそ、建てる会の最大の目的であると考えております。「ハチ公の歌を歌おう会」は銅像建立記念事業の一環として発足しており、その理念は不動のものであり、将来において変わる事なく活動されるものと確信しています。
 後藤晃一会長も、「どれも自然に口ずさめる歌、是非多くの皆さんに歌って欲しい」と話されています。
 一度カラオケで歌ってみて下さい。
 (森本 晃 ハチ公の歌を歌おう会事務局長)

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