女の落書帖

三重大学の近くの赤信号で車を止めていたら、バタバタとヘリコプターの大きな音が聞こえた。白地に赤のヘリコプターが頭上を過ぎ、大学病院の方へ飛んでいった。ドクターヘリだ。
ドクターヘリという言葉を知ったのはアメリカのテレビドラマだったろうか。救急の医師や看護師がヘリコプターで患者のもとへ駆けつける緊急救命の最前線である。
病院の方に目をやると、白い建物に緑色の文字が鮮やかだ。あそこで亡くなった友人がいる。人がいつか去っていくのは当たり前のことだけれど、救える命なら救ってほしい。それが見知らぬ人であっても。
さっき飛んでいったヘリコプターにも命の危機にある患者さんが乗っていただろうか。救命できるうちに病院に着いたかと気になった。
ヘリコプターは速い。道路状況の影響を受けないし、救急車よりずっと速い。三重県の端までも何十分かで到着し、患者さんを治療しつつ病院に搬送できるという。素早く手当を受けられるところが心強い。
機器でいっぱいの機内には、きっと志高くてカッコいい医師や看護師が乗っているだろう。どんなことが行われているだろうかと想像する。それは私の中でドラマになってしまうが、現実に命に係わる責任感と重圧は生半可なものではないと思う。乗務の方々を尊敬するばかりだ(舞)

津の西にどっしりと立つ経ヶ峰。登山が趣味の友人に誘われ、一年に一度ぐらいは経ヶ峰に登る。季節の花を見たり頂上からの景色を楽しんだり。好天の今日、経ヶ峰に登ったら気持ち良いだろうと思う。
津市に高い山はないけれど、そこそこの山ならある。津10山というガイドブックもあり、津の山の魅力を教えてくれる。アスト津の観光案内所で売られていた。
先月、私は津10山の二つに登った。大洞山は雌岳、雄岳の双耳峰。登りの急階段が辛かったが、苔生した石が周囲を埋め尽くす石畳の道は八ヶ岳や大台ケ原の苔の森に並ぶほど素晴らしかった。
尼ヶ岳は伊賀富士とも呼ばれる円錐形の山。頂上からは青山高原の風車や伊賀市、高見山まで見えた。二ノ峰一ノ峰とピークを越える度に、誰が置いたのかトトロの描かれた小石が迎えてくれた。
登山の楽しみは達成感である。登りの苦しさに耐えて足を動かせば、やがて頂上に着く。頂上から見る景色、吹き渡る風、おいしいご飯が大きな喜びとなる。
コロナ禍のアウトドアブームに加え、にっぽん百低山というBSの番組もあり低山登山ブームが来ている。山で会えば初対面でも親しく話ができる。ただ、遭難のニュースも聞くので低山を見くびってはいけない。装備を整え、登山アプリも利用して安全登山を心掛けている。          (舞)

日が沈もうとする頃に毎日ウォーキングに出かける。虫の声、鳥のねぐら入り、夕焼け。暑くも寒くもなくて、今が一番ウォーキングに適した季節だ。歩けばお腹も空いて夕ご飯が美味しくなる。
灯りのついた窓の下を通ると夕食の匂いを感じることがある。カレーだったり、肉だったり、今夜のメニューが分かることもあって楽しい。
賑やかな声が聞こえてくることも。子どもたちの騒ぐ声。何か訴える子どもを叱るママの声。油の匂いがする。子供の面倒を見ながら料理をするママはたいへんだ。私もそういう時は同じように大声で叫んでいたように思う。
ストーカーのようにそんな窓の下で立ち止まって探っているのではない。道を歩いているだけなのに、声も匂いも換気扇や窓からこぼれてくるのだ。秋の窓は開放的。
排水路からシャンプーの香りが立ち上ることもある。誰かがお風呂に入っている。どぶの匂いと混ざって、もわっと熱を感じる。良い匂いではないが、これも嗅ぎなれた匂いだ。
家々の生活の匂いはどこか懐かしく温かい。忙しい毎日の忙しい時間の暮らしぶりが滲んでいる。ウクライナにもシリアにもこんな生活があるはず、あったはず。銃撃の音や硝煙の匂いのない平和なこの街で、明日も明後日もこんな暮らしが続いていってほしいとつくづく思う。(舞)

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